資本主義に気を遣うことで本心に蓋をして生きる

こんにちは。okamotoです。

昨日は「非合理性にこそ、人生の醍醐味が存在するし、自分らしさが現れる」というお話をしました。

めっちゃ好評でした。

ありがとうございます!

ただ、こうしてご好評をいただくということは、

そもそも日本人は真面目な人種なのに、さらに合理性を求める、生産性を求めるという流れに無意識にでも違和感を抱いている人が多かった、

ということだと思います。

だって、漠然と感じている “生きづらさ” みたいなものも加速しそうじゃないですか?

 

個人的にはむしろ肩の力を抜いて “脱力する” という非合理的な手段が、今の日本人にとって合理的に必要なんじゃないかと考えてます。

自然体になることで自分の本来の能力が発揮できるようになるし、日々の生活の中で自分らしさを感じることができるし、ひいてはテコの原理的に生産性も向上していく。

実際、僕はこっちの方向性で進み出してからの方が調子がいいですw

合理性ではなく、自分の本心どおりに進む。

ある意味、言い訳なしの生き方になるので、自然と自分が人生に全力を出すようになるんですよね。

 

「じゃぁ、逆に真面目であることが生きづらさを感じている一因であるはずなのに、どうして社会はさらに真面目な方向性に進むのか?」

それっていうのが今回のテーマである『目的と手段が逆転しているから』と言えるわけです。

 

目的と手段が逆転した今の資本主義社会

本来、「人間」の生活を豊かにするために
「社会」が存在するはずなのに、

「社会」を豊かにするために
「人間」の人生を犠牲にするという現状になっている。

たしかに社会が豊かになれば人間の生活は豊かになるかもしれません。

でも、それは飯が食えない時代の話ですよね?w

生きていくために必要なこと「衣・食・住」が揃っていない時代では、

それはそのとおりでした。

「自分は飯が食えるけど、隣のやつは飢え死にそうです!」

って状況だと、自分だけ飯が食えても幸せではないわけで。

でも、これこそ “今は昔” ですよね?

みんなが服を着て、空腹を満たす食べ物があって、今晩寝る場所がある状態になっている。

人間が社会に求めた役割は果たしているし、社会を作った目的もすでに達成している。

なのに、なぜか今もまだ社会を良くし続けなければいけない。社会のために自分の人生は犠牲にするもんである。

 . . . という価値観のままって、ちょっとヤバいですよね?

 

ただ、実は、一部ではその価値観も変わりつつもあります。しかも10年以上前から。

たとえばホリエモンはずっと昔から、お金はAIが稼ぐようになると言っていました。

ホリエモンの代わりにドラえもんが働いてくれるようになる、とw

そして今、それが分かりやすく実現し始めていますよね?

たとえば、AIが人間の変わりにイラストを描いてくれるようになりました。

AIが作ったイラストを売って人間がお金を稼いでいるわけですが、これはドラえもんが出稼ぎに行ってお金を稼いできてくれるのと構図的には同じですよね。

ここ最近に限ったことではありませんが、AIが人間の代わりに価値を生み出してくれる社会というのが実用化・汎用化してきたわけです。

つまり、本来、「人間」の人生を豊かにするために存在する「社会」を良くするために、「人間」が人生を犠牲にする必要がなくなってきたということです。

↑書き方がややこしいですねw

個人単位で最適化できるようになった時代

もちろん、社会単位ではまだまだ目的と手段が逆転しているのが現実だと思います。

社会という大きな集合(意識)を変えるのはなかなか時間がかかりますし、それが何十年、何百年と続いてきた価値観であるのなら、それはなおさらです。

まだしばらく(数年)は社会のために人間が犠牲になるという価値観は大部分を占めると思います。

その方が都合が良いと考える人も多いから。

(上の人は既得権益を得ることはできるし、労働者は暇にならずに済む。)

 

ですが、個人単位であれば、

「社会のために人生を犠牲にしなくてもよい」という価値観を選択できるフェーズに突入しています。

つまり、自分の人生の目的のために手段を選ぶ時代。

僕はビジネスコンサルやライフコーチングをしているわけですが、僕自身のライフスタイルは “ノマド” と呼ばれる形です。

なぜ、こんなライフスタイルになったのか?

と言うと「ただ、僕がやりたかったから」だけです。

 

でも、こういう生き方をしていると、

既存の価値観の人から、

「ビジネスをするうえで最も大事なのはお客さんだ。お客さんにとっておまえの場所なんかどうでもいいことだ!なのに、なぜ、おまえは海外をぶらつくことを優先しているんだ?!」

みたいなことを言われることもあります。

これが社会のために人間が犠牲になる思考の一例だとは思います。

いや、そんなの「海外をぶらつくつきたいから」でしかないわけですからw

 

しかも、よくよく考えてみると、本人も言っていますが、お客さんにとっては僕の居場所はどうでもいいわけです。

つまり、日本にいようが、海外にいようが、どちらでも構わない。

であるのにもかかわらず、今までの社会システムで採用されてきた価値観を盲信して、しかもそれを正義かのように振りかざすというのが逆転している社会の特徴なんです。

今までは従うことでしか生きられなかったという側面はあったと思いますが、でも今はもはや個人やとそれをスルーしても良くなった、ということです。

資本主義に気を遣ってやりたいことができない現状を乗り越えれば、自分史上最強になれる

「みんなが●●してるから」
「親に●●と言われたから」

という思考は他人の目を気にしているように見えて、

実は「資本主義という仕組みに気を遣っているだけ」というパターンはよくあります。

つまり、「お金を稼がないといけない」という不安を解消することだけのために人生を消化しようとする生き方をしてしまっているということです。

もちろん、お金がないと生きていけません。

今はまだ資本主義社会だから。

でも、資本主義がなぜ存在しているのかというと「人間の暮らしを豊かにするため」でしたよね?

社会全体では無理だとしても、この根本的な目的を個人単位に採用すると、

「自分の目的を達成するためにお金を稼ぐ」

と考えなければいけないわけです。

「じゃぁ、あなたが心の底から望む人生の目的はなんですか?」

っていう話が重要になってくるわけです。

 

しかも、お金を稼がなくても目的が達成できる場合もあることを考えると、

「お金を稼ぐことで目的が達成できるならお金を稼ぐし、お金を稼がなくとも目的が達成できるならお金を稼がなくてもよくね?」

になるわけですw

 

ただ、ここまでいくとちょっと現実味がなくなってくるんで、

僕がいろいろ実験することで辿り着いた結論が、

「本心に素直になり、
自分の目的を達成しにいけば、
お金を稼ぐ能力も最大化される」

です。

お金のためにお金を稼ぐ必要はありません。

でも、自分の目標や理想とするライフスタイルを達成するためにはお金もいる。

だからこそ、

「やりたいことあるけど、みんな安心を求めてお金を稼いでいるしなぁ。」

と資本主義に気を遣う思考は一旦やめて、

「本心に素直に生きて良いんやで!」

と自分に許可を与えてやってみてください。

  • 海外に行く、旅する
  • 英語や他言語(行く先々の言語)を学ぶ
  • アスリートなみに運動する(徐々にねw)

僕の例で言うと、こんな意味不明なことに走っている方が、すべての調子がよくなります。

 

まぁ簡単に言うと、

やりたいことのためなら、必死に生きることができるってことですね。

 

でも資本主義に気を遣っていると非生産的な時間に罪悪感を感じてしまいます。

有給を取って海外に来てるのに、

「遊んでていいんかなぁ。」と、

なぜか遊んでいることに引け目を感じることはないですか?

 

でも、それこそ手段と目的がなっているからです。

僕らは “絶対” に
「社会」に「人生」を犠牲にすることを
目的にしてはいけません。

 

だから一回、想像してみてください。

「資本主義に気を遣うのをやめ、自分の目標を達成しにいく」

その方が人生に本気になれませんか?

今まで資本主義に気を遣うことで制御していた自分の能力が解放される気がしませんか?

その感覚はわりとふつうに正しいです。

 

よく、ふつうの会社員だった人がすべての投げ出し、旅に出るということをする人がいますよね?

同僚や周りは「あいつ、人生が終わったな。」と言います。

でも、本人は謎の生命力を発揮して、個人で仕事もうまくこなし始めたりします。

それは自分の本心に従った人生を歩むという選択を取ったことで、資本主義に気を遣っていた自分の中のリミッターが外れた状態になったから、と言えます。

本心に素直に生きることで、これまで資本主義に気を遣うことで持っていた心の凝りのようなものが取れ、全力で生きることができるようになった。

吹っ切れることができた。
脳に余白ができた。

そんな感覚ですね。

 

まぁ要するに、本心に素直に生きる方が自分が本来持っている能力を発揮することができる。全力で生きることができるということ。自分の能力がフルパワーで出せるようになるわけです。

それっていうのは、

「異世界に転生したら本気出せるのに」

と感覚が似ていますねw

異世界に行ったらプレッシャーゼロでアクティブになれる。

 

ということは、何かに遠慮して、資本主義に気を遣い、そのせいで全力が出せない僕らが、フルパワーで生きるためには、思考を資本主義社会とは逆転させる必要があるわけです。

それっていうのはもちろん、

目的と目的とし、手段を手段とすること。

本来はこっちが正常な位置なんですがw

 

あなたの目的や理想があるなら、それを叶えるのが自分の人生なんだということを思い出す。

そして、それを達成するためには、資本主義に気を遣うのをやめる。

そうすることで、自分の本来の能力が発揮されるようになるし、フルパワーで生きることができるようになる。

 

もちろん、だからといって理想が必ず実現するというわけではないです。

無尽蔵にフルパワーを出し続けられるわけでもありません。

だから環境設定や生産性を上げる工夫が必要なわけで。

でも、目的と手段が逆転している社会では、環境設定や生産性を上げる工夫さえも目的となってしまいがちです。

 

だから、

フルパワーが出せるからといって必ずしも理想が実現するというわけではないけれど、でも、どうせなら自分の本来の目的に向かうフルパワー人生を送る方が良くないですか?

本心や理想に蓋をしているだけでなく、能力も抑制し、本気を出さずに生きるのでなく、まるで図太い人間かのように素直に生きる方がぜんぶ上手くいくと思えないですか?

そして環境設定や生産性を上げる工夫は自分の目標や理想のために活用する方がよないですか?

 

だからこれって「理想を実現しにいくかどうか」の話であって、もっというと、

実現したいと思えるものがないなら、そのままでいいんです。

ポイントは実現しないと人生後悔すると思えるものだけを実現しにいくスタンス、なので。

ただ、気をつけなければいけないのは、多数派の人はそこまでして達成したい目標や理想とするライフスタイル、自分が好きなことや自分らしい生き方というものを求めていないということ。それゆえに資本主義社会の価値観の方が都合が良いし、「そのままでいとこうよ」とお互いに言い合っている状態なわけです。その意見に流されてはいけない。

 

だからこの記事は、LINE限定にしています。

このLINEを読んでくれている人は、自分の理想や目的を実現しにいく側の人らなはずだから。

あなたには、ほんまにやりたいことがある。

もしくは、今は漠然としていてもそれを見つけてやる!という気概を持っている。

ということだと思いますので、なので、その他大勢ではなく、限らえた人に向けてのみ書きました。

 

ということで、ぜひともここで話した内容をもとに実践に移してってください!!

何をか?というと、もちろん、目的を目的とし、手段はあくまで手段とすることです。

そうして、今日から自分史上最強モードで “自分自身の人生の目的” を達成しにいったりましょう!

 

ということで、今回の内容は以上になります。

目的と手段が逆になった世界で、自分の目的と手段をちゃんと本来の位置に戻そう!それは個人単位では最適化可能です。だってもう資本主義にそこまで気を遣って生きる時代でもないんですから。

というお話でした。

P. S. 明日です!!

明日20時、新noteをリリースします。

理想を実現にしにいく人生にすること。
本心に素直に生きることでフルパワーで生きること、をテーマにしています。

昨日、今日と話した内容に1ミリでもビビッときた人は、明日を楽しみにしといてください。

というか、必ず読んでください。