僕は社会不適合者です。

こんにちは。okamotoです。

 

さて、本日の内容ですが、

僕は予てから、

一生安泰かつ幸せな生活を送ることができるのは、
大企業で働いているヤツでもなく、
国家資格を持っているヤツでもない。

『1人で食べていける能力のあるヤツ』
であると。

『間違いなく、個人で好きなライフスタイルを確立し、
経済的に自立し、家族や仲間と有意義な時間を過ごすことができる、
そんな時代が来ている!
というか、
もう思いっきりそうなってる。

と言ってきました。

ここまで来ると聞き飽きたかもしれません。

もちろん最初は半信半疑だったと思いますが、

今、これを読んでいるあなたはすでに明確な手段と多数の実例を理解し、

「まぁそうやろな」

と、特に不思議に思うことなく、すんなり頭に入る状態だと思います。

 

人生を自由に展開するというのは、

特別な人間だけが達成しうる偉業でも奇跡でもなく、

 “個人の選択の問題” なんだと。

臨場感を持って、理解しているはずです。

 

社会に出る時、

「就職活動しよう!」
「公務員試験を受けよう!」
「業界はここにしよう!」

それらと並ぶフラットな選択肢として、

「起業しよう!」
「ノマドしよう!」

を普通に選ぶ時代になったのです。

 

一昔前は「起業」と言うと、

『勇敢な行動、無謀な選択、人生の博打』のようなイメージで使われていました。

起業に失敗したら借金地獄. . . 。

親や先生、TVからそんなイメージを植え付けられているかもしれません。

 

超保守的な僕の母親は、

必死にそれを僕に植え付けようとしていたみたいですw

自身の苦労した経験から、

「おまえには普通の人生を送って欲しいから、わざと植え付けようとしてたで」

と潔く認めるあたり、母親なりの信念があったんだと思います。

 

しかし、明らかに時代は変わりました。

「主婦の方が家事をしながら月10万円を稼いでいる」

この程度の話なら、本当によく聞くようになりました。

 

もちろん、副業や小遣い稼ぎではなく本業として、

『好きなだけ稼いで、好きなことを好きな時に好きなだけやって. . . 』

胡散臭いので、あまりこのような表現を使いたくありませんが、

こんな生き方をしている人ですら、珍しくありません。

 

個人の人生の選択肢が、母親の頃と比べてずっと増えたのです。

Wi-Fi環境は完備され、ビジネスをするためのプラットフォームも充実し、挑戦することのハードルはグッと下がりました。

 

僕の体感として、

ここまで急激に変化したのは、

ちょうど僕たちの世代が分岐点だと思います。

未だに同窓会などで、

『パソコン1台でノマドしている』

と、旧友に言うと、

「やばいやんw」
「社会不適合者やんw」

と言われたりします。

 

新しい波が来ると、

必ず “二極化” という現象が起こると言います。

僕は身をもってそれを体感しているのです。

 

スマホが出た時、
「おれ、ガラケー派やから」
と言う人がいました。

僕もそうですが、

当時はガラケーがなくなるなんて誰も思っていませんでした。

しかし今の世界の覇権を握っているのは、Apple、Facebook、Google、Amazon。

すべての企業がスマホに関連した事業を展開しています。

ぶっちゃけ日本は完全に乗り遅れました。

 

他にもYouTuberが流行りだした時、
芸能人は彼らを小馬鹿にしていました。

芸能人になれなかった人間が夢を見る場所」

そう言っていた人たちがこぞってYouTubeに参入し、

見下していたカジサックや中田敦彦氏にノウハウや教えを乞う。

TV業界の人は、必死に視聴者を獲得しようとYouTuberをTVに出そうとする。

 

大抵の場合、

新しい波を否定する人はそこに論理的な理屈が存在しません。

現状の自分、自分の居場所を肯定したいだけです。

しかし、時代の変化に取り残さた人間は必ずと言って良いほど “敗北者” となります。

だから変化を受け入れ、冷静に状況を判断する目が必要となるのです。

 

僕も会社員の頃に同僚から、

「金の亡者か?」
「付き合い悪いぞ」

など、いろいろ言われました。

仕事以外の全ての時間とお金をビジネス構築に使っていたので、

同僚からの誘いは、ほぼほぼ断っていたからです。

しかし、

コ口ナで経済が低迷した時、

その同僚たちから、

「仕事をくれない?」
「ビジネスを教えて欲しい。」

と言われた、という話は以前にもしました。

 

さすがに今すぐ “会社で働く” という形がなくなる、とは思いません。

しかし、終身雇用の終了、副業OK、失業者増加. . . 。

明らかに会社が「雇用者の人生に責任を持つこと」を放棄する流れにあります。

それと同時に、働き方における “新しい波” が確実に到来しているのです。

 “どちらの働き方がメジャーになるか分からない” くらいの状態にはなったと僕は思います。

働き方がフレキシブルになり、1人が複数の会社で働くという形式も増えるはずです。

そうなれば、完全に個人の実力勝負の時代です。

母が僕に言ってきた「安心、安泰」など、もはや何処にもないのです。

 

こんな偉そうなことを言っている僕ですが、

「僕は新しい波が来ていることを誰よりも早く察知し、その世界に飛び込みました!」

というわけではありません。

そうだとカッコもつくんですがw

 

僕の場合は、

単に自分に社会不適合者のきらいがあったため、

自然と、この道に進んでたって感じです

 

それでも、最初から社会不適合者だったというわけではありません。

自分で言うのもおかしな話ですがw

小学校や中学・高校では、

人の目を気にするし、調和を大切にし、問題を起こさぬよう、事なかれ主義で生きていました。

 “和をもって尊しとなす” の精神です。

そりゃ、多少の反抗期もありましたが、

起業家が自慢気に語るような

「当時からオレはぶっ飛んでたぜ!」

みたいなストーリーは全く持ち合わせていません。

 

ごくごく普通に生きていましたが、

その中でも社会の理不尽さは感じていました。

中学・高校の頃は、
親のコネで優遇される同級生を見たり、

大学院では、
圧倒的縦社会や理不尽な掌返し、絶対服従の空気感に酷され、

会社に入ってからは、
ホワイト企業でのびのびと働きながらも、働かない同僚のために自分が犠牲になる。

 

社会や組織で働くことは、

仲間と切磋琢磨する楽しさがあります。

しかし、そこに完全依存して “収入源” という弱みを握られた状態で一生下手になって生きるのはシンドい. . . 。

組織に依存して働かなければいけない、という価値観に懐疑的な考えは持っていたのです。

 

もともとは社畜精神もあり、自己犠牲もしてきた側なので、

「社会不適合者やん」と友人に言われるまでは、

その自覚もなかったんですがw

 

そう言われて初めて、

「そうかもしれん、理不尽なことを我慢し、嫌々で自分の望まない人生を送る事が当たり前と考える事が “社会に適合する” という意味なら、もう社会不適合者でいいや。」

とふっきれ始めました。

 

「オレも我慢してネクタイしてるんやからお前もネクタイしろ!」

→「なんでやろ?」

「毎年、新人が忘年会の準備をするんやから、新人は出席必須なんや!」

→「欠席します!」

 

運良く社会不適合者の気質があったから、

起業家の友人を見て、

自分にも “1人でお金を稼ぐ選択肢” があることに気づくことができ、

そこに全力で没頭することができたのです。

 

特殊能力があったとか、才能があったとか、

全くそういう話ではなく、

結局、選択の問題という言葉に集約されますよね。

もし僕が順風満帆に社会に適合していたら、

きっと今ごろは、会社で出世争いに参戦していたと思います。

 

僕はたまたま、
新しい波の到来による働き方の『選択肢』と出会い、
社会不適合者の気質があった事から、
その道を選んだだけでした。

 

もし、この話を聞いて、

「痛いほど分かる!!」
「あれ?おれも社会に適合していない?」

と共感するのでしたら、

あなたも僕が取った選択肢の方が向いているはずです。

 

補足ですが、

別に「社会に適合している、していない」とか、どうでもいいんです。

社会は常に変化しているし、そういう意味では適合している人間はいないのです。

 

今、適合していると思っている人間も、

戦時中の社会の価値観には合わないはずです。

明治改革なんて批判の嵐です。

 

大事なのは『自分で選ぶこと』です。

 

ちびまる子ちゃんの時代には、

海外のご飯はほとんど出てきません。

一般人にそんな選択肢は無かったからです。

でも、花輪くんのような一部の金持ちにはそれがありました。

時代の変化のタイミングでは、

一部の人しか気づいていない選択肢があります。

 “個人の働き方” に関して言うと、今がそれです。

もちろん先の例のような金持ちだけの選択肢ではありません。

ネット環境と日本語能力とPCとスマホがあれば始められます。

 

組織に依存せず、自分だけの収入源を持つ事を人生の選択肢に入れてみてください。

ワクワクが止まらなかったらアタリです!

 

P. S.

正直なところ、 “一生食いっぱぐれないこと” は副産物です。

1人で稼ぐ手段を持つことは絶対的に大切です。

しかし、このノウハウだけを持っていれば一生安泰なんて存在しません。

常に時代の見て、流れを読み、状況に応じたスキルや能力を磨いていく必要があるからです。

もちろんそれは、自分のビジネスシステムを持っているのが前提です。

 

だから、僕の情報発信では、

「一生食いっぱぐれないスキルを持つ。」

がメインテーマの1つではあるけど、

「自分の望むライフスタイルを確立する。」

ことにも重きを置いているのです。

 

僕にとっては、飽くまでその方法論が情報発信ビジネスなんです。

 

確かに、

情報発信ビジネスは個人がビジネスを始める上で最高の選択肢です。

一生安泰と言われるスキルと同時に、

一生安泰の思考法を身につけることができるからです。

それが『戦略思考』です。

 

一般的に世間で言われる成功者は必ずと言ってよいほど、戦略思考を持っています。

戦略なしに起業で成功した社長はいませんし、
戦略なしに受験戦争を勝ち上がった東大生はいませんし、
戦略なしにプロになった野球選手もいませんし、
戦略なしに当選した大統領も存在しません。

戦略思考無しに、一流にはなることはありえないのです。

 

例えば、

陸上の十種競技元日本チャンピオンの武井壮さんは、

貧乏な家庭に育ったため、学費を免除するために、

中学・高校の6年間を成績学年1位をキープする必要がありました。

中学で野球をしていましたが、

勉強をするために高校では一番暇そうな地学研究会に入ったそうです。

しかし、将来に日本トップレベルのスポーツ選手となるために、

勉強の隙間時間を見つけては、

『自分の体を自由自在にコントロールするトレーニング』

をするのです。

自分の体を自在に操ることさえできれば、

どんなスポーツでも勝つことができる。

だって、一流選手の動きを見るだけで、自分も同じ動きができるのだから。

それがたとえ大学から始めたスポーツだったとしても天下は取れる、と考えたのです。

 

そして、実際に武井壮さんは、

大学から始めた陸上で、最速で日本チャンピオンになるのです。

 

これは武井壮さんが、

スポーツを他人よりも1つ高い抽象度で考え、戦略を立てた成果です。

もちろん思考だけでなくトレーニングや努力も必要です。

しかし、ただがむしゃらに努力すれば良いというものでもありません。

 

目的を決めて、高い抽象度の視点から合目的的に戦略を立て、徹底的に努力したからこそ一流になれたのです。

 

僕はまだまだ情報発信ビジネスで日本チャンピオンではありませんが、

それでも、具体的に「場所と時間を自由にする働き方」という目的を決め、

合目的的に戦略を練り、徹底的にトレーニングしてきたからこそ、

PC1台で会社員以上の収入を得ることができるようになったのです。

そこの合理性は誰にも負けない自信があります。

 

・時間的余裕
・経済的自立
・場所の自由
・価値観の体現

具体的な目的のもとで戦略思考を実践できたから、情報発信ビジネスでノマドとして活動できているのです。

その甲斐もあって、

インターネットの特性を活かして、半自動でシステムが機能し、収入が得られている状態です。

 

今でも飲み会の帰りの電車の中で、

10万円の収入が発生しているのを見た時は素直に嬉しいです。

キモいですが、多分、顔もニヤけているはずですw

 

構築してきたこのシステムは僕の成果です。

でも、身につけてきたものは戦略思考なのです。

もちろん、戦略思考も成功者や先駆者を参考に培ってきました。

スキルと同時に思考も身につけることで、一生安泰安心な状態は作れるのです。

僕はこれからも情報発信ビジネスを続けますし、

時代の流れを読みながら、戦略思考をさらに磨いていきます。

 

P. S. S.

2日前から募集していた

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今日23:59で募集を終了します。

前に言っていた通り、時間になればきっちりと閉じたいと思います。

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