【他人の目を気にせずに生きられるようになる方法】「自分の価値観を体現したノマドライフ」を送る。

タイ合宿中、1人の参加者から、

「ノマドになって地元で犬の散歩してるって究極ですよね!」

と言われて、

僕が「ん?」ってなっていると、

「どこにでも住めるのに和歌山にいるってすごいですよね!」

と、彼は続けた。

 

僕は最初、「何を言ってるんだろう」と不思議に思っていましたが、

その後、会話を続けていると、

みんな、社会のレールからはみ出した後もレールに乗ってしまっている。なのに、他人の目を気にせず、のうのうと自分の価値観を体現できていることがすごい。

という意味だと理解できた。

 

たしかに、

脱サラして自分のビジネスを持った人って、

みんな同じように見えますよね。

タワマンに住んだり、
GUCCI着たり、
四角い鞄持ったり、
ええ車買ったり、
六本木に住んだり、
葉山に行ったり。

しばらくすると、個性出そうと芸術家や陶芸家みたいな格好し始めたりw

 

ネットビジネス界隈は、いわゆる社会のレールから抜け出した後、また新しいレールがあるんだな。

ということに、この時初めて気づきました。

 

結局、人間はどこまで行っても、

他人の目を気にして、他人の価値観を体現してしまいがち。

 

同業者に「おお、お前もやるやん?」と思われたいのか、

社会の枠からはみ出た組に仲間入りしたことを誇示したいのか、

元同僚から「すげえ!」と思われたいのか、

なぜか、レールからはみ出した後に新しいレールを乗ってしまいます。

縦のラットレースから抜け出した後に新しい縦のラットレースを走り出す。

 

そんなネットビジネスの文化の中では、

「ダサっ!」

って思われるのかもしれないですが、

僕は地元和歌山を本拠地とし、他県や海外にいないときは柴犬を散歩する生活をしながらノマド作業をしている。

 

僕からしてみれば、

「せっかくレールから脱線したんだから自分の思うように生きてやる。」

という当たり前なことしていただけなんですが、案外みんな脱サラした後も “縛りのある人生” を歩んでいるみたいです。

 

まぁ実際は、親の病気と犬の不調とコ口ナ期間が重なって、分かりやすくのうのうとしてそうな生活を送っている期間が長かったということもあるんですが、

たしかに個人起業家が作った縦のレースに参加する素振りも見せずにのうのうと生きているのは、脱サラ後のラットレースに違和感を感じている人から見ると『ノマドの究極系』に見えるかもしれませんね!

 

だからここでのポイントとしてのノマドの究極系の本質は、

『本当の意味で、他人の目を気にせずに自分の価値観を体現すること。』

になると思います。

 

だって、もともとビジネス界隈やおじさん界隈の気持ち悪い文化に興味がある人なんていないわけですから。

  • 自分が身につけているブランドものを見せつける
  • 相手の持っているブランド物を確認する
  • 稼げるようになったらとりあえずタワマンに住む
  • 別荘地でBBQし、高級ホテルに泊まりにいく

どうでもいいし、そういう人らに興味なさすぎるはず。

 

問題は、興味がないはずだったのにいつの間にか興味を持たされ、そのラットレースに参加してしまっていること。

他人の目が気になって、それをしないと不安に思うようになってしまうこと。

つまり、いつの間にかマーケティングされているんですよね。

 

本当に他人の目を気にせずに生きたいのなら、絶対にやるべきこと

会社を辞めるくらいのマイノリティの行動は取れるのに、それでも他人の目を気にしてしまう人は案外多い。

それに、

「他人の目を気にせずに生きよう」

と言ってる人ほど、他人の目を気にしている傾向がありますしねw

「他人に嫌われるのは気にしないから、ありのままの自分でいたい。」

と言う人ほど、他人に言われたことをいつまでもグチグチ言っている、みたいにw

 

であるなら、そういう人らの言うことを参考にしても他人の目を気にしないようにはならない気はします。

 

でもだからと言って、本当に他人の目を気にせずに生きている人、天然でそれをやってる人は自然とそれをやっているのでもはや才能。

天才の言うことは凡人の役には立たない。

 

もっと言うと、

新宿の道で奇声を上げている人や、秋葉原の高架下でホームレスをしている人は、きっと他人の目が気にならないのであろうだけれども、論外www

 

まぁ僕も、新宿で奇声を上げている人よりは他人の目を気にしていると思います。

ただそれでも、現状はこれくらい他人の目を気にせずにのうのうと生きれるようになりました。

 

ちなみに、僕も昔は他人の目を気にしまくり人間でした。

ここでは重要じゃないのでエピソードトークは書きませんが、臨海学校で同級生の目を気にして5日間うんこを我慢したことがありますw

それくらいには他人の目を気にしていきてました。

 

じゃぁ、僕は、どのようにして他人の目を気にせずに行動できるようになったのか?

自分の価値観を体現した選択が取れるようになったのか?

 

僕は “他人の目を気にしなくなる方法” に関して明確な答えを持っています。

それはある1つのことをやめること。

それをやめれば、他人の目を意識した選択をしなくなります。

他人の目を気にして生きることから開放されます。

 

で、それは何なのか?

と言うと、

『他人を評価すること』

です。

 

他人を評価することをやめると、他人の目を気にしなくなります。

逆に言うと、他人の目を気にする人は、他人を見て、評価してるんです。

 

学校の授業で間違えた答えを言った友達に対して「恥ずかしいやつ」と評価すれば、自分が答えるときに他人の目が気になって間違えることができなくなります。

恥ずかしいやつと思われたくないから。

 

でも間違えたやつに対して何の評価もくださず、何の感情も抱かなければ、自分が間違えることに対して何も思わなくなります。

 

そのほかにも、他人の服装を評価していると、他人の目を気にした服装になってしまいます。

他人の持ち物を馬鹿にすると、自分の持ち物は他人に馬鹿にされないようにブランドものや高価なものになっていきます。

 

他人の目が気になる人は、他人を見過ぎです。

だから、他人を評価することをやめることです。

気にすべきは『今、この瞬間に自分の価値観を体現すること』だけです。

 

マーケティングにより、他人を評価することが当たり前になった。

僕らは無意識に、日常的に、他者を評価しています。

アマゾンの★、YouTube👍、Twitterのいいね、ぐるなび、食べログ、ホットペッパー。

ネットで他者を評価するのが当たり前になりました。

 

しかも、アマゾンや食べログでは評価が見える化されており、僕らが意思決定するときの参考にしています。

よく見るYouTubeやSNSでは、他人のことを言及する投稿が溢れています。

誰かの評価を目にすることも爆裂に増えています。

 

  • 日常的に他人を評価していること
  • 他人の評価を目にする機会が爆裂に増えたこと

これらにより、自分の人生で他人の目を気にすることが加速しました。

 

だからまずは自分が他人を評価することをやめてみることです。

他人を評価することをやめると、他人の目も気にならなくなります。

のうのうと自分の価値観で生きることができるようになります。

不必要な縦のレースに参加しなくて済みます。

 

また、他人を評価することをやめると、他人が評価していることも気にならなくなります。

「そんな評価なんか、ワンカップを片手に阪神のエラーに文句を言っている西成のおっさんと同じやんけ!」

と思えるようになりますw

 

西成のおっちゃんに評価されることを恐れて自分の価値観を体現しないのはバカバカし過ぎますよね?

 

相手を評価することで、自分が生きづらくなっている。

だから、相手を評価することを辞めてみましょう。

めっちゃ楽になります。

 

情報発信者が気にすべきは「同業者の目」ではない。

情報発信者には、他人の目を気にすることの弊害があります。

それはSNSを使う際や情報を発信する際、

『同業者の目を気にしてしまう』

ということです。

 

自分のジャンルで、自分よりもコンテンツ力が高い人やフォロワーが多い人に、

「変に思われないかな?」
「間違ったこと言ってないかな?」

みたいなことを気にしてしまう人がいるんです。

 

英語ならネイティブや帰国子女。
ビジネスなら有名起業家やインフルエンサー。
恋愛ならヤリチンやリア充。
大学受験なら大手予備校講師や大学教授
筋トレならマッチョ。

何かしら “客観的指標” で自分より上の部分がある人の目を気にしてしまう。

 

でも、ビジネスを少し勉強すれば、

そもそも客観的な指標のもと評価された機能的価値によって、見込み客が受け取る価値の大きさが決まるわけではないということが理解できます。

別にこれは間違ったことを言ってもいいということではなく、同業者の顔色を伺ってしまうことで、本来自分が届けることができる価値が提供できないというのは、自分にとっても、見込み客の人にとっても、損害であるということです。

 

だから、僕ら情報発信者が気にすべきは『見込み客』だけです。

ターゲットのド真ん中の人に対して発信していればよく、その人らに価値提供することだけを考えるんです。

共感してくれる人らとより良い人生を歩めればいい。

そんな「情報発信の場」を作っていく。

 

もちろん、そのためにはターケティングや大本となるコンセプト、もっというと自分の『価値観軸』や『原動力』が明確化されている必要があります。

自分が誰よりもそれを理解しておかなければいけません。

 

でも、せっかくビジネスを勉強し、価値観軸や原動力を明確化し、コンセプトメイクし、ターゲットのド真ん中も設定し、自分が提供できる価値を見出しても、肝心の発信で同業や古参の目を気にしてしまっては全てが台無しになってしまいます。

 

自分の選択では、他人の目ではなく、今、この瞬間だけに集中していれば良くて、

情報発信では、同業者の目ではなく、見込み客や自分のターゲットのド真ん中だけを気にしてればいいです。

 

そうすることで、自分の生きたい生き方ができるし、自分だからこその価値を提供することができます。

 

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・ゼロから個人がノマドになるには?
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人生の負け犬だった僕は、毎月300万円を売り上げてノマドになりました。

「仕事は我慢」
「いかに感情を押し殺すかのゲーム」
「月曜から金曜まで早く過ぎろと思って生きる」
「しょうもない時間を過ごす対価が給料」
「お金は人生を切り売りして稼ぐもの」
「憧れのライフスタイルは諦めなければいけない」

超保守的かつビビリの僕は、

 “他人の価値観” を上手く体現することが人生だと思っていました。

しかし、それは全くの間違いでした。

 

人生は単なる『選択』でしかなく、

思ってたよりも5,000倍は自由でした。

それでも会社員のままじゃ自由を享受できないし、理想のライフスタイルも実現できない。

だって、経済的に自立するだけでなく、

時間を生み出し、生きる場所を自由化するためには、

 “自分自身のビジネスシステム” を持つ必要があるからです。

 

そう気づけたおかげで、

今ではこうしてノマドライフが送ることができています。

もちろん、特に才能があったわけではありません。

むしろ文才は悲しいほどありませんでしたw

(ここだけの話、国語の成績は高校でブービー)

それでもノマドになれたのは目的に合った手段を常に選択してきたからです。

 

だからどんな人でも “適切な選択” と “正しい努力” さえ実践すれば、

経済的自立・場所の自由・時間の余裕を獲得できると確信しています。

僕がノマドになるまでの軌跡と行動理念は、下の記事に書きました。

5分で読めるのでぜひ読んでください↓

→ ただの大学生だった僕が、全くのゼロから経済的に自立し、場所も時間も自由なノマドになった軌跡