おすすめ | ノマドブログ https://okamoto712.com PC1台、好きな場所で生きる。 Thu, 18 May 2023 07:10:13 +0000 ja hourly 1 https://okamoto712.com/wp-content/uploads/2018/04/cropped-2018-07-07-12.01.27-32x32.png おすすめ | ノマドブログ https://okamoto712.com 32 32 実は、英語を勉強したことをずっと後悔していました。 https://okamoto712.com/eigonomadt-14663.html Fri, 05 May 2023 07:01:19 +0000 https://okamoto712.com/?p=14663 こんにちは。okamotoです。 今回の話は、実は実話です! …。 はい、ダジャレで盛大に滑ったところでw、 僕が英語を勉強してきたことで、後悔した。 という昔話をしたいと思います。   僕は大学に進学した後も...

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こんにちは。okamotoです。

今回の話は、実は実話です!

…。

はい、ダジャレで盛大に滑ったところでw、

僕が英語を勉強してきたことで、後悔した。

という昔話をしたいと思います。

 

僕は大学に進学した後も、

自発的に英語の勉強を続けていました。

(ちなみに理系です。)

 

大学を中退したり、

出願をミスったり、

取る足らないことは色々ありましたがw、

結果的に滑り止め大学の薬学部に流れ着いた僕は、

“腑抜け大学生マインド” & “貧乏人マインド” だったこともあり、

特に語学留学に行くことはありませんでした。

 

(当時、留学なんて金持ちのすることだという卑屈な考えを持っていたのは、ここだけの話w)

 

それでも英語を続けていたのは、

漠然と、

「いつか海外に住めたらええなぁー」

と、心の奥底で願望を抱いていたから。

 

でもまぁ、現実はそんなに甘くないですよね。

 

真面目に英語を勉強しても、

真面目に大学院で研究しても、

真面目に外資系企業で働いても、

海外に住むどころか、

海外に行く機会すら、どんどんと限られていきました。

 

学生はお金がなく、

会社員は休みがない。

 

たとえば会社員時代、

GWにハワイに行った時は、

日本語で対応されましたw

ハワイのワイキキビーチが “日本人シフト” になるくらい、日本の会社員は休みが限られてます。

 

ごく僅かなタイミングでしか休み(チャンス)がない。

 

しかも、真面目に働いていた僕に追い打ちをかけるように、

会社でも衝撃的な事実が発覚しました。

 

「出世すれば海外勤務できるかもしれない」という一縷の望みを持ち、

外資系企業を選んだのに、海外勤務に行けるのは「5年に1人」いれば良い方だったのです。

 

海外にいける人間がほんの一握りを通り越して、

ほんの “一摘み” もないという事実を知ったときは、

ちゃんと絶望しましたw

 

あ、俺の人生に海外を満喫するチャンスは、
もう無いんや。

 

それやったら、大学生のときにバイト頑張って、節約して、お金を貯めて、短期でも語学留学に行っとけば良かったなぁ . . . 。

 

“人生には遅すぎることはない”

とよく聞きますが、

所詮、綺麗ごとやなということが理解できました。

 

一方で、

そんな大学生活と会社員生活を送っていた僕とは対照的に、

大学在学中に起業した幼馴染の友人は海外に行きまくり。

 

「特に海外に興味はない」
「英語も勉強してない」

と言いつつ、

ニューヨーク、
ハワイ、
ラスベガス、
メキシコ、
セネガル、
シンガポール、
マレーシア、
フィリピンへと、

ぷらっと行っています。

↑僕が知っているだけでこれだけ。

 

さらに、何の嫌がらせか、

彼以外にも、なぜか僕の周りには、

  • アフリカセネガルに住むナ●パ講師
  • NYに自分探しの旅に出たおっちゃん(30代)
  • 20代で世界中のホテルに泊まりまくる若手起業家
  • 海外を転々としながらYouTubeを撮るノマド
  • 筋トレの発信をする超一流海外大学の研究員

といった海外満喫ライフを送っている友人や知り合いがどんどん増殖してきたのです。

 

「くそ、なんやんねん。こいつらに海外行く権利ないやろ!」

とまでは思いませんでしたが、

「おれの方が海外に行く権利あるやろ!」

とは思っていましたw

 

英語はできないし、
異文化にも興味ない。

そんなヤツらが海外に行ってるのに、

僕は行けない。

もはや “理不尽さ” しか感じませんよね?

 

極めつけは、友人2人が “海外合宿” を開催し、それすらもビジネスにしていたのです。

ド平日に10日間ほど。

しかも2回。

ジョホールバル(マレーシア)とシャルガオ島(フィリピン)で。

参加者は各10人ほど。

 

当時、会社員だった僕はもちろん参加できず。

 

なぜ、英語が好きで勉強していた僕は海外にいけないのに、

英語に興味のない彼らは海外に行けるのか?

 

なぜ何の準備もしていないやつらが、ぷらっと、のうのうと海外に行けてしまうのか?

(はい、口が悪いですねw)

 

しかも、海外にいながら仕事をするということが体現できているのか?

僕とそいつらは何が違うのか?

 

当時の僕にはなく、

彼ら全員が持っていたものは、

『自分自身のビジネス』です。

それが “海外でも生活できる力” だったわけです。

 

「あぁなるほど、英語じゃなかったんや。」

英語は海外に行ける人生になるかどうかのクリティカルな要因ではありませんでした。

 

僕が磨くべきものは『ビジネス力』だったんです。

個人でビジネスしてる人が何をしているのか?

  • ノマドとして実践すべき情報発信ビジネスとは?
  • 個人で価値提供することでお金が発生する原理原則とは?
  • 何者でもない個人が共感を起こす方法論とは?
  • SNSやブログを使って導線を作るマーケティング力とは?
  • マスにアプローチするのではなく見込み客を集める集客とは?
  • 人を魅了するライティング力とは?
  • 他者に依存しない自立したビジネスの作り方とは?
  • 自分のビジネスをもつメンタリティ
  • ライフスタイルとビジネスを一体化する力

めっちゃ簡単に書いてますがw、

個人でビジネス構築するいろんな要素をひっくるめて、

『ビジネス力』が自分の人生を生きるためには必須だったんです。

 

その現実を知った僕は、

● 東大出身の起業家

● 決して表には出ない投資家

という最強2人組に基礎から徹底的に鍛えてもらいました。

 

ビジネス構築とライフスタイル確立について学び、

僕自身のビジネスを持つことができ、

どこでも生きられるノマドになりました。

 

そして、7年の時を経て僕は、

海外最強合宿を開催する側に回ることになったのです。

 

それが先日の18日間のタイ滞在です。↓

プーケット(タイ)にて18日間のノマド旅をしてきました。

2023年4月21日

 

  • 自分のビジネスを持つ人らで海外を満喫できたこと
  • 異文化や現地の人との交流を通して新しい価値観や人生感をインプットできたこと
  • 海外でビジネスする日本人と話すことで新しいゲシュタルトが構築されたこと
  • 旅行ではなく、ある程度の期間過ごすことで見えてきた現地人の生活や街の特性

 

30人規模でそれをやっていると、

そこら中で新しい気付きや学びが生まれます。

それが参加者同士で随時共有され、

そこからまた新しいアイデアが生まれるという循環が起こります。

これはシンプルな情報交換ではなく、

もっとも深い部分の自己成長や人生レベルの変化です。

 

大げさに聞こえるようですが、

たとえば合宿途中にも関わらず、

「分かりましたわ!もうカンボジア行ってきますわ!」

と、合宿途中にタイを飛び出した人や、

「自分の発信でもここで合宿しますわ!」

と自分のコミュニティにも体感してもらおうと決めた人、

他にも、

誰にも打ち上げたことがない真のコンプレックスに向き合うことができた人、

ビジネスと人生の目標を見つけた人、など。

 

運営含め合宿にいる全員の体感として、

単なる海外旅行や自分探しの旅以上の充実感と満足感があって、

僕は今後もこの活動をやりまくっていくことを決めました。

 

ノマドになった僕が、昔の僕みたいな人に言いたいこと

ここまで読んでいるということは、

「こいつはなんで海外に行けてるんや!?」

と疑問に思ったり、

中には、かつての僕のように嫉妬心を抱いたりw、してるかもしれません。

 

特に英語学習の目的を見失ってる人は、

「そもそも英語を何のためにやっているのか?」

「英語は自分の人生で意味があるのか?」

 

例えば、海外を満喫する人生を思い描いて英語を始めたはずなのに、

いつの間にか英語を勉強することが精神安定剤になっているという生活を送っていた。

英語を学ぶこと自体に逃げ、理想を夢見るだけの人生で妥協していた。

まぁ、まんまかつての僕なんですが、

そんな人もいるはずです。

 

でも本当のところは、

今、自分が最も注力すべきことは英語の勉強ではなく、

『どこにいても働ける生活力を身につけること』なんだと、

実は薄々気づいてませんか?

 

昔の僕は、見て見ぬ振りをして、目を背け、蓋をして、漬物石を乗せ、蔵にそっとしまっていましたw

 

「英語を勉強し続けていれば、いつか何かが起きて、海外にいくチャンスを手にし、人が羨むような海外生活に突入していくんじゃないか!」と淡い希望を抱きつつも、本当は現状の延長線上にそんな未来がくることはないと分かっていました。

このまま英語を勉強しているだけやと、65歳で退職した上司の世界線をたどる。

 

だから、

今日の話で少しでもギクッと思ったのなら、

本当にあなたが身につけたいと思っている力は『ビジネス力』のはずです。

それがあれば、ノマドすることができるんですから。

 

「じゃぁ、なんや?」

「英語を勉強してきたことが無駄って言いたいんか?」

と思うかもしれませんが、

(ここまで喧嘩腰ではないとは思いますがw)

 

「安心してください。無駄ではありませんよ。」

世界に見つかった”とにかく明るい安村、英番組の審査員も“パンツ一丁のネタ”を大絶賛「これぞゴッド・タレント」「率直にここ数年で一番面白い」(1/2 ページ) - ねとらぼ

とにかく明るい安村も英国でブレークしましたし、ちょうどええですね!

 

まぁ何がちょうどええかは分かりませんがw、

パンツを履いていることくらいには安心して欲しいことは、

英語はノマドライフの質を抜群に上げてくれるということです。

 

なぜなら今回の合宿でも、

僕は世界中からプーケットにやってきてたノマドに話しかけたり、

タイの本当に小さな島で生まれ育ったのに英語がペラペラで「なんでこの環境でそんなにできるねん?」って言いたくなった現地の人と話したり。

英語を通して新しい価値観や人生観をインプットし、自分の価値観を磨く活動をすることができました。

 

これは英語があったからできたことです。

非言語のコミュニケーションでは不可能ですから。

「ノマドするなら英語も勉強しろ!」と本気で思っています。

 

だから僕はどんな英語であっても勉強することは否定しません。

受験英語、英検、TOEIC、TOEFL、IELTS、CNN、アメリカドラマ、洋書 . . . 。

資格ビジネスの養分になっているとか、
情報発信者のポジショントークに踊らされてるとか、
日本にいるのに英語を勉強してるやつ乙とか

1ミリも思っていないし、そう言ってるやつが大嫌いです。

 

ただ、思い出して欲しいことは、

でも、そもそもなぜ、
英語に対してそこまで夢中なんですか?

確かに、

洋書を読むことだけが好きな人
TOEICの点数を上げるのが生き甲斐な人
アメリカドラマが好きで好きでたまらない人

も、中にはいると思います。

でも、かつての僕はそう思い込むことで逃げていました。

 

というのも、

僕はそこまで英会話に力を入れてなかったからです。

 

大学院で英語論文を読む機会が多かったので、

その流れから洋書や英語記事を読む学習をメインでやっていました。

でも、いま思い返してみると、

英語を話す機会がないから読むことに逃げてただけだったなと。

 

海外で英語を使ってるやつらと差別化するために、

むしろ読むことに特化することでアイデンティティを見出そうとしてましたw

 

だから、正直に言います。

 

僕は当時から、

本当は英語を武器にいろんな価値観に触れたり、世界中の現地人とコミュケーションを取り、新しい人生観をインプットしたり、そういうことがしたかったんです。

 

あなたもそうじゃないですか?

 

英語を使って海外を満喫したいから英語を始めたのに、

英語を勉強しているうちにそれがだんだん “遠い夢” となり、

臨場感のなくなった夢を見ること自体に “慣れ” てしまい、

次第にそれを追いかけてる “フリ” することに満足してしまい、

そして知らぬうちに他人と点数を競い合う “縦のレース” に巻き込まれ、

気づけばバカみたいに、嬉しそうに、そのレースを爆走していませんか?

 

レースを完走すればいつか夢が叶うかもしれないと、

自分を誤魔化し、

英語のお勉強を続けていませんか?

 

英語学習者にとって、こんな切ない話はないですよね?

ふつうに悲し過ぎます。

 

でも冷静になって考えてみてください!

 

日本人の平均勉強時間が1日13分であると欧米アジア最下位だと馬鹿にされている中で、

あなたが日常的に英語を勉強しているその熱量や情熱は、パネエことです。

だからこそ、それは報われるべきもんなんです。

僕は7年かかりましたがw

 

「で、報われるためには何が必要だったか?」

と言うと、もう大丈夫ですよね?w

 

本気で大事やと思うので、

クドいと思われてもいいからもう一度言わせていただくと、

それは、紆余曲折しながらも僕が身につけてきた『ビジネス力』になるわけです。

 

もちろん、一概に『ビジネス力』と言ってもいろんな考え方があります。

 

でも、僕らにとって必要なビジネス力とは何なのか?

それは「海外を満喫する人生を送るための生活力」でしたよね?

 

で、一見、それってたくさんあるように思えます。

動画編集、仮想通貨、投資、ブロガー、海外でビジネスする、ワーキングホリデー、路上パフォーマンス、などなど。

 

じゃぁ、

ノマドライフを送ることが目的である僕らにとって、

実践すべき合理性があるビジネスは何なのか?

それは『情報発信ビジネス』です。

 

だって、僕らが手に入れたいのは、

一時的な収入や労働を対価にお金をもらう力ではなく、

ライフスタイルそのものだから。

 

例えば、今回の海外合宿もそうです。

合宿自体がビジネスになっているし、

自己成長と他者貢献は一致しているし、

活動自体がライフスタイルの体現になっているし、

ライフスタイルがビジネスと一体化しているし、

自分の価値観や人生観に共感する人が集まっているし、

自分だからこその価値提供ができているし、

自分の強みや優位性を活かすことができている。

 

だから、

繰り返しにはなりますが、

僕はこういう活動を今後、もっと積極的にやっていこうと考えているわけです。

 

と、ここまで長々と話してきましたが、

結論として、

「英語を使って海外満喫生活を送りたい」

「ノマドライフで新しい価値観や人生観に触れていきたい」

のであれば、自分のビジネスを持つことであるし、目的に合ったビジネス力を身につけることです。

じゃぁ、合理的に考えたときにノマドの目的に合っている最適なビジネスモデルは何なのか?

それが『情報発信ビジネス』であるということです。

 

僕の運営するLINE@では、

ここで話した目的のために「情報発信ビジネスを構築するための知識」や「ノマドライフを送るために必要なライフスタイル構築論」を配信していますが、

そんなこと以上に、

こんな考えに共感してくれた人だけが集まる「場」として機能しています。

 

ここまで読んでくれた方で、

まだともだち追加していない方は、ぜひLINE@も読んでみてください。

 

人生の転換点となるような話が盛りだくさんだし、

ノマドを学ぶ場としても最適な環境を用意していますので。

そして、一緒に海外を満喫するノマドライフを送りましょう!

 

P. S.

そういえば、

フランス語もはじめましたw

今後、フランス語圏の国を攻めるだけでなく、

フランス語を通した価値観や人生観もインプットしていくという作戦です。

ただ、もしまた英語のように縦のレースに参戦して、

僕がフランス語検定とか受け始めた時には、

シンプルに注意してやってくださいね!w

ではまた!

 

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【自分の世界を広げるには新しいゲシュタルトを作るしかない】人生で糞詰まった時の対処法 https://okamoto712.com/lifeisgesutalt-12747.html Wed, 16 Feb 2022 06:44:25 +0000 https://okamoto712.com/?p=12747 もはや隅付き括弧の中の方が長いというタイトルになりましたが、 この記事では本当に大事なことを書きたいと思ったので、 SEOもコピーライティングも全て度外視して書いていきます。 いつもみたいにチョケたり、ユーモアたっぷりに...

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もはや隅付き括弧の中の方が長いというタイトルになりましたが、

この記事では本当に大事なことを書きたいと思ったので、

SEOもコピーライティングも全て度外視して書いていきます。

いつもみたいにチョケたり、ユーモアたっぷりにも書きませんがw

ちゃんと最後まで読んでみてくださいね。

 

ということで、

「人生、酷されすぎて、糞詰まってます!」
「理想的な人生とは、まったく違う道を進んでしまってます!」

という対処法として、現状から抜け出す手段を紹介します。

 

そもそも、

行動できないとか、
自分に自信が持てないとか、
何をすべきか分からないとか、

結局、

『見えている世界が狭すぎる問題』でしかない

というのが僕の答えです。

物理的にも、精神的にも視野が狭すぎる、視界が悪すぎるということですね。

 

「そりゃ、そんなモヤがかかった状態で進むのは怖すぎるやろ!」

という話です。

言うならば『人生の視野狭窄』状態になっているわけで。

(医学用語を使うことで薬学部出身というアピールをさらっとしていますが、もちろん眼病のことなんて1ミリも分かりませんw)

 

で、結局のところ、

「人生の自分の視野が狭くなったり、視界が悪くなったりするのはなぜか?」

ってことですが、

それは『スコトーマがあるから』というシンプルな理由です。

 

ストコーマは「盲点」という意味です。

盲点は “目の網膜上の視神経が束となり集まっている点” のことで、

そこに写った映像は目に見えず、たとえ目の前にあったとしても認識できないというものです。

スコトーマ(盲点)を体験したい人はこちら。

 

少し理系チックな話になりましたが、

目(網膜)には認識できない部分があるんだな、と思って貰えればOKですが、

まぁ、不思議ですよね。

僕らの眼は、目の前の景色をそのまま映し出し、ありのままに見ているわけではないということです。

 

そして、ここからが本題ですが、

ストコーマ(盲点)は、

目に見えるかどうかという “物理的” な意味だけでなく、

自分が認識できるかどうかという “心理的” な意味でも発生します。

 

つまり、僕たちが認識している世界や思考には、見えない部分、考えることができない部分があるということです。

 

めっちゃ簡単なところで言うと、

同じ条件を与えられているはずなのに、問題が解ける人と解けない人がいますよね。

乱暴な解説をすると、

「あれは与えられた条件で見える世界、認識できる情報が違うから」

と言うことができます。

まぁここでは、「思考レベルでストコーマが存在するんだな」と思ってください。

 

ちなみに、テスト中に解けなかった問題の解説を聞いて、

「なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだろ?」

と、不思議に感じたことってありますよね?

過去の自分を疑うレベルのやつもあるはずです。

 

それっていうのが、

解答までの道筋がまさしく盲点になっていたということです。

 

そして、このストコーマの影響ですが、

学校の問題を解くことだけに及ぶというわけではありません。

人生の選択や可能性においてもモロに影響を与えます。

 

同じ状況に置かれても、

「結果を出す人間」と「結果を出さない人間」がいますよね。

これは人により見えている世界が違うからです。

 

「チャンスや!」と思う人もいれば、「ピンチや!」と思う人もいる。

それっていうのは、

結果が出せない人は、基本的に選択肢がなく、思考を制限して考えてしまってるからです。

無意識に思考にスコトーマが発生しており、視野が狭い状態になっているということです。

 

もちろんストコーマを全く消すことは不可能ですが、

少なくとも結果を出す人の方が視野が開けている、視界が良好ということです。

 

例えば、これは本当に些細なことでもいます。

日頃、勉強しない学生がテスト勉強を開始すると、

まずは机の上の片付けや部屋の掃除から始めたりしませんか?

よく考えてみると、

もうこの段階でテストで良い点数が取れない人の選択をしてしまっていますよね?w

 

ちゃんとテストで良い点数を取るというゴールを持っている生徒は、「部屋や机を片付ける」という選択肢は見えません。

普段から勉強しているから、

・勉強するまでの自分の行動の導線
・テストで高得点を取るまでの道筋
・時間の使い方ややるべきこと

それらが見えている、認識出ているから、テスト前に机や部屋を片付けるなんて選択肢は見えていないのです。

(ちなみに、無意識にこんな行動ができることを「習慣」と呼びますね)

 

要するに、

うまくいく人はうまくいく世界が見えていて、

うまくいかない人はうまくいかない世界が見えていまっているんです。

 

と、ここまでスコトーマの話をしてきましたが、

ひとまず、スコトーマとはどんなものかのイメージは持ってもらえたかと思います。

 

ここで本題に戻りますが、

スコトーマがあるから人生で糞詰まった時に抜け出すことができないと言うことができるし、

むしろ、スコトーマがガチガチに構成されてしまっているから人生が糞詰まると言うこともできますよね。

簡単な話、糞詰まり人生から抜け出すためには、スコトーマを外して、自分の世界を広げる・見える世界を広げる・認識する世界を広げる・選択肢を増やす・可能性を増やす、こういったことをしていく必要があるわけです。

じゃぁ、どうすればスコトーマを外すことができるのか?

ストコーマを外す手段はいろいろあると思いますが、

1つ、わかりやすいのが「勉強」です。

 

人間は知らないことは認識できないようになっています。

 

例えば、戦国時代の10代に「将来、やりたいことは?」と聞いて「宇宙飛行士!」とはならないわけです。

宇宙飛行士になりたいと言う言葉がなかったとしても、

本気で「月に行こうと思っています!」というティーンはいません。

今の時代だと、本気で異世界転生を目指すくらいのことだからです。

 

知識がないことは認識できません。

だからめっちゃ簡単に言うと、

『勉強(知識)は人生の選択肢を増やしてくれる、認識できる世界を増やしてくれる行為』

ということになるわけです。

 

勉強や知識でスコトーマが外れる理由(=世界が広がる訳)

では、そもそも、

「なぜ勉強や知識でスコトーマが外れるのか?」

と、疑問に思うかもですが、

結論を言えば、僕は、

新しいゲシュタルトができるから

と考えています。というか、これが答えなはず。

 

「ゲシュタルト」という変わった言葉ですが、なかには聞き覚えがある人もいると思います。

そう、「ゲシュタルト崩壊」のゲシュタルトですね。

 

ゲシュタルト崩壊は、

たとえば、小学生の頃に漢字練習帳に同じ漢字ばかりを書いていると、

「なんか変な漢字に見えてくる」
「見たことない漢字に思える」
「なんか気持ち悪い字に感じる」

こんなのが『ゲシュタルト崩壊』です。

とうことで、ゲシュタルト崩壊を起こしてもらいますと、

恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋

どうですか?

見つめていると「恋」ってこんな漢字やったっけ?

と思えてきますよね?

これがゲシュタルト崩壊です。

 

「ゲシュタルト崩壊」は文字通り “ゲシュタルト” が “崩壊” した状態のことを指しますが、

・じゃぁ、ゲシュタルトが何なのか?
・何が崩壊したのか?

ということで、確認すると、

ゲシュタルトとは、

『全体は単なる部分の集まりではなく、個々が相互に作用し合い1つのものとして存在している』

という概念です。

 

難しく聞こえますが、漢字の場合で考えてみると、

それぞれ、棒や点が集まり、棒や点の関係性が生まれ、全体として1つの漢字を形成することで意味を成していますよね?

「立」と「木」と「見」で「親」(=おや)という意味になり、

単なる部分の集まりではなくなっていますよね?

 

ゲシュタルト崩壊では、その棒や点の関係性(=ゲシュタルト)が壊れ、全体が崩壊する現象のことです。

頭の中で、漢字における棒や点の関係性が崩れて、ぐちゃぐちゃに感じるということですね。

 

また、ゲシュタルト関連の話でいくと、

『鋼の錬金術師』という漫画を読んだことはありますか?

(僕が好きな漫画ベスト10に入るので、ぜひとも読んで欲しいですがw)

作中に『一は全、全は一』という言葉が出てきます。

実は、これがゲシュタルトです。

「おれ」という「一」が存在しするから、
「世界」という「全」が存在する。

そして、

「世界」は単なる「個人(おれ)」の集まりではなく「全体」として世界と認識されるものである、

ということです。

これがゲシュタルトの基本的なイメージです。

 

もう1つわかりやすい例で、「家族」というものを考えてみましょう!

いきなり質問ですが、

「家族って存在しますか?」

答えは「はい」になるかと思います。

では、「家族」って誰(もしくは何)ですか?

例えば、あなたにとっての家族は、「母と父と姉と息子と…、」みたいになるかもしれません。

でも、母や父、息子、娘は家族の一員ですが、

家族という存在そのものを表しているわけではないですよね?

(自分の母は、自分の子供から見たら「おばあちゃん」となり、子供は「孫」になりますし。)

家族は全体として存在しているが、実在はしていない概念です。

つまり、それぞれの関係性があることで家族のゲシュタルトを形成しているというわけです。

 

このようなゲシュタルトですが、

平たく言うと、

「相互の関係性がある状態」と捉えることができます。

この方が考えやすいですね。

ではでは、

「勉強により新しいゲシュタルトができる」ということでしたが、

「ゲシュタルトを作る(形成する)とは、どういうことなのか?」

しっかりと説明すると、

『低い抽象度でバラバラなものが、抽象度が上がり、1つの整合的なものが出来上がること』をゲシュタルトを形成する

(『圧倒的な価値を創る技術〜ゲシュタルトメーカー〜』苫米地英人著より)

と言います。

いや、どういうことやねんって感じですねwww

 

たとえば「机」や「椅子」を例にすると、

抽象度の低い「板」や「棒」「釘」は、それだけではただの板や棒に過ぎません。

しかしそれらが抽象度の高い所で整合(統合)されると、「机」や「椅子」という新しいゲシュタルトが形成される。

それは部品同士に新しい関係性が構築されたということになります。

 

高い抽象度:机、椅子(ゲシュタルトを形成)
低い抽象度:板、棒、釘

 

この現象は知識にも当てはまります。

つまり、自分の思考そのものでも同じということです。

 

例えば、

「リンゴは手を離すと落ちる」という事象を知るとします。

そして、

「ペンは手を離すと落ちる」という事象も次に知ったとします。

ここから、

「モノは手を離すと落ちる」

というゲシュタルトが形成できるはず。

(ちなみに、これが『学ぶ』ということですね。)

 

だから、

ものを下に移動したい時は、「手を離せば良いんだ!」という思考が可能になりますよね?

 

このように抽象度の高い所でゲシュタルトを形成することで、

視点が高くなり、視野が広がる、物事の認識が変化するのです。

 

ここまでをまとめると、

『勉強によりスコトーマが外れるのは、勉強によって新しいゲシュタルトを形成され、高い抽象度で物事を認識することが可能になるから』

ということですね。

 

世界を広げるのは新しいゲシュタルトを作ることでしかない

ここまでは、勉強により新しいゲシュタルトが構築され、高い抽象度で物事を考えること(認識すること)が可能になるから、視野が拓け、ストコーマが外れるというお話でした。

当たり前ですが、

低い平地よりも山頂からの景色からの方が認識できる世界は広いですからね。

物理世界ではイメージしやすいですが、

情報空間的に、思考レベルで認識する世界が違うってどういうことなのか?

 

先程「モノは手を離すと落ちる」というゲシュタルトの話をしました。

「リンゴは手を離すと落ちる」
「ペンは手を離すと落ちる」
という情報を高い抽象度で捉えることで、

「モノは手を離すと落ちる」
というゲシュタルトが構築できるという話です。

 

このゲシュタルトがあると、たとえば、

「ものを下に落としたい時、手を離せばいいんだ!」

という思考に至ることができます。

この話を用いて、認識する世界の違いについて考えてみると、

仮定として、

ハイキング中に仲間が崖の下に落ちてしまいました。
幸い、自分の持ち物にロープがあります。

で、質問ですが、

この後、あなたはどうしますか?

 

そうですね。

ロープを使って仲間を助けようとしますよね。

 

では、なぜこの思考が思いついたのか?

それは「モノは手を離すと下に落ちる」というゲシュタルトがあなたの中にあったからです。

 

「モノは手を離すと落ちる」というゲシュタルトがある人は、

ロープの片方の端を手にもち、片方の端を手を離すことで、仲間の元にロープを垂らすことができます。

でも「モノは手を離すと落ちる」というゲシュタルトがない人は、

ロープを仲間の元に垂らすという発想には至らず、仲間を助けることができません。

 

先程、仮定の文中で、「幸い」という言葉を使いました。

ここでロープを持っているという現実が「幸い」と認識できたのは、

「モノは手を離すと下に落ちる」というゲシュタルトがあなたは持っていて、これを使うと仲間を助けることができると考えたからです。

だから、ロープを持っているという事象が「幸い」に認識できたのです。

 

ですが、

「モノは手を離すを落ちる」というゲシュタルトを持たない人は、

その人はロープを持っていることを「幸い」とは認識できません。

ただ、細長いものが手元にあるというだけ。

そして、現状を「絶体絶命」と認識します。

ロープで助けるという道筋は、スコトーマにより見えない状態です。

 

どうでしょうか。

ゲシュタルトがあるのとないのとでは、認識する世界が違うという意味が理解いただけたかと思います。

 

もちろん、今回の例は極端であり、

非現実なくらい幼稚な内容でした。

しかし、社会でも同じ出来事が起こった時に、

「これはビジネスチャンスだ」
と認識する人もいれば、

「あぁ、人生終わった」
と認識する人もいます。

少なくとも、この2人には見えている世界が違りますし、

起こっていることは持っているゲシュタルトの違いでしかありません。

 

ロープを「幸い」と見るか、

ただの「細長いもの」をみるか、

です。

現状が「助かった」と思えるか、「絶体絶命」と思えるか、の違いは持っているゲシュタルトです。

 

復習ですが、

ゲシュタルトを構築するとは、

低い抽象度でバラバラなものが、抽象度が上がり、1つの整合的なものが出来上がることです。

つまり、高い抽象度(視点)で、物事を認識することができるようになるわけです。

 

そして、自分の認識する世界が変わるというのは、こういうことです。

より全体像が見えるとも言えますね。

 

元日本代表の遠藤保仁選手が、サッカーIQが高いと言われるのは、

試合中に見ている景色、抽象度が高いから。

高い視点からコート全体、試合全体を見ながら試合をしている、

三次元的に(もしかすると四次元的に)試合を把握している、ということです。

目の前のボールだけを見ていてはパスなんかできませんので。

 

どういう勉強や学習をすべきなのか?

認識しているようで、認識していない世界があるというのは、

ちょっと怖く感じる部分もありますが、

でも、どっちかと言うと、

ワクワクしませんか?

 

自分の知らない世界が存在するということは、

まだまだ面白い世界が存在する可能性、

さらにそもそも自分の可能性も広がるということなので、楽しみで仕方ありません!w

 

たとえ今の人生が糞詰まっていても、希望があるということです。

だって自分にはゲシュタルトがなく、スコトーマがあるだけだから。

今、自分が思っている1000倍くらいの可能性があると思って良い!

そう思って生きる方が元気が出ますしw

 

で、ここまでを振り返っておくと、

『勉強によりスコトーマが外れるのは、勉強によって新しいゲシュタルトを形成され、高い抽象度で物事を認識することが可能になるから。その結果、自分が認識する世界が広がる』

ということをここまで確認しました。

 

僕が勉強による獲得するゲシュタルトのイメージは、

世界を通して見るフィルターを身につけることです。

人間は絶対にフィルターを通して認識しているから、

そのフィルターの解像度を上げる作業がゲシュタルトを頭の中に構築すること、

つまり、勉強することがそれっていうことです。

 

じゃぁ、ここで僕たちはどういう勉強をすべきなのか?

逆にどういう勉強をしてはいけないのか?

ということですが、

答えは簡単です。

ゲシュタルトを形成される勉強をすべきであって、ゲシュタルトが形成されない丸暗記のような勉強はやめるべき

というのが、僕の答えです。

逆に言うと、

『ゲシュタルトを作らなければ、その勉強に意味はない。』

ということです。

 

ただ、人間は基本的に過去の経験ベースで学んでいく生き物です。

ゲシュタルトのない学習を丸暗記と仮定すると、

人間には「丸暗記なしの勉強はあり得るのか?」と、疑問に思うわけです。

 

そこで考えてみたいのが、

「モノは手を離すと落ちる」というゲシュタルトの話です。

物理の問題集なみに物を落下させていますがw

「リンゴは手を離すと落ちる」
「ペンは手を離すと落ちる」

例えば、この2つの事象をこのまま覚えて、何も派生させないのが「丸暗記」に当てはまるんじゃないかなと思います。

つまり、「物体は手を話すと落ちる」と派生させない、抽象度を高くできない。

これが丸暗記であって、ゲシュタルトを構築しない学習です。

 

だって、このゲシュタルトがなければ、

崖に落ちた仲間を助けるのにロープを下に落とす手段が分からない、ということになるということでしたよね。

しかし、「モノは手を離すと落ちる」というゲシュタルトがあれば、

ロープが手元にあると仲間を助ける道筋が見えるのです。

なので、

ゲシュタルトのない学習を「丸暗記」と言っても良さそうですよね。

 

そして、確かにゲシュタルトを構築しない学習は、柔軟性に欠け、認識できる世界が狭い気がします。

これを英語に置き換えて考えてみると、

“This is a pen.”

という学校で一番最初に習う文章があって、

次に、 “That is a book”を習う。

この2文だけを覚えても、表現できることはありません。

でも、これらの英文からゲシュタルトを作れば、

「thisが主語で、isがbe動詞で、aが冠詞で、a penが補語」

という学習ができ、ここから表現できることの方が明らかに多くなります。

“dog” という単語を学べは、

This is a dog.

という文章を作ることができるからです。

(つまり、英文法って『英文を高い抽象度から捉えたときのゲシュタルト』と言えるわけですね。)

 

そう考えると、ゲシュタルトとしての英文法を学ぶことで英語の表現が増えていくことと同様に、

全ての知識のゲシュタルトにおいて自分の認識する世界が広がるというのは自然なことですよね?

見える世界や思考が洗練されていくということです。

 

さて、またまた、

リンゴは手を離すと下に落ちます。
ペンは手を離すと下に落ちます。

という例を考えると、

ここで「モノは手を離すと落ちる」というゲシュタルトを持っていたとして、

ここで子供から下のようなことを言われたら、あなたはどうしますか?

 

「モノは手を離すと下に落ちると言うけれど、風船は手を話しても下に落ちないよ?」

「お風呂におもちゃを入れると下に落ちないで浮いたよ?」

論破されちゃっていますよねwww

 

「モノは手を離すと落ちる」というゲシュタルトを持っているだけでは対応できないことが起こってしまっています。

さらに、

「飛行機は鉄の塊だけど浮いているよ?」

「宇宙空間でペンが浮いているのを見たよ?」

などなど、全然対応できないことが発生してきます。

 

これらに対応するためには

  • 空気の密度よりも大きい物体は下に落下する。
  • 空気ではなく水になると比較対象は水の密度になる。
  • 静止したものを重力によって自由落下する。
  • 落ちるのは重力が原因だから重力のない宇宙では落ちずにその場に居続ける。

などの知識(ゲシュタルト)を得ることで対応が可能になり、思考の幅が広がります。

抽象度の高い所でゲシュタルトを形成しているというわけです。

これらのゲシュタルトを持っていれば、

物事をちゃんと把握できる、認識する世界は広く、解像度も高いということです。

 

少し物理的な話なので、文系の人は苦手に思うかもしれませんが、

言いたいことは、

「落下という現象」と「密度」や「重力」「運動」などの知識が統合されているという点です。

それにより、個々の事象の認識の幅が広がるということ。

(物理が嫌いな人は英文法で考え直してみてください。)

 

ということで、

そもそも「学ぶ」とは「ゲシュタルトを構築していくこと」なので、

学べば学ぶほど、どんどん知識の関係性が作られていくものです。

密度なんて「重さ÷体積」で求められますが、それだけは何にも使えませんよね?

しかし、密度の大きいものが下にくるという知識(ゲシュタルト)になることで思考の幅が広がるわけです。

 

大事なのは、『ゲシュタルトを構築することで思考の幅が増えるという感覚』です。

 

勉強が嫌いな人は、勉強することで世界は窮屈になると感じてしまいがちですが、実は真逆です。

ちゃんと勉強すれば、

ゲシュタルトが大きくなって、

思考の海が広がり、世界は広がる。

ということを実感してもらいたいです。

 

先の例で言うと、ゲシュタルトが構築されるとロープを下に落とすことが可能になる思考ができるということですね。

そのゲシュタルトがないと、仲間が崖に落ちた状況は絶対絶命になるわけですから。

その他にも、物で水が浮くことだって普通に予想できる範囲なわけで、

そのゲシュタルトがありさえすれば、

例えば、「ビーチで浮き輪を使ってギャルと遊ぶ」という選択肢も生まれてくる. . . 、

かもしれませんw

 

ゲシュタルトを作ることは世界を広げてくれるということであって、

ゲシュタルトを作ることこそが「学習」と言えるということですね。

 

もちろん、「りんごは手を離すと落ちる」としか認識せずに思考する世界で良いのであれば、それでいいです。

でも、「モノは手を話すと落ちる」と理解しておけばロープで人を助けることができますし、

さらには、その先は、水にモノを浮かべたり、風船を空中に浮かべる、という世界も存在するということは、可能性でしかありません。

 

人生で糞づまったとき、
手詰まりになった時、

そんなときこそ自分の世界を広げるということをしてみてください。

 

もちろん、

「今、絶好調だけど、さらにもっとオレの可能性を広げてやるぜぃ!ヒーハー!」

というのも、大賛成ですし、僕もこれです!w

 

ということで、今回は、

『人生を広げるには新しいゲシュタルトを作るしかない』というお話でした。

 

(本記事は過去にLINE@でお送りした内容のリライトです。)

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『SNS集客概論』あなたがSNSで収益化できない理由【Twitter & Instagram & YouTube】 https://okamoto712.com/sns-9863.html Wed, 21 Oct 2020 08:15:11 +0000 https://okamoto712.com/?p=9863 あなたがSNSで収益を上げれない理由 こんにちは。okamotoです。 この記事をお読みの方は、 ジャンルも決まって、コンセプトも固まってきて、いよいよ情報発信開始! 満を持して『集客』のためにSNSを運用を始めた、とい...

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あなたがSNSで収益を上げれない理由

こんにちは。okamotoです。

この記事をお読みの方は、

ジャンルも決まって、コンセプトも固まってきて、いよいよ情報発信開始!

満を持して『集客』のためにSNSを運用を始めた、という人が多いと思います。

もちろん、既に運用していて、

「フォロワー数がええ感じで増えてきた!」
「こうすればいいねがもらえる!」

こんな気づきも得られている人もいるかと思います。

しかし、SNSを運用する中で多くの人が陥りがちな問題として、

フォロワーは増えたけど、
収益は全く上がらない

こういう事例が多発しています。

 

実はこれって、SNSの使い方の上手さとは別のところに原因があって、

情報発信としてもっと根本的なところを修正していく必要があるんですね!

今回は、

情報発信者として前提となるSNSの使い方、そして収益に繋がらない運用としてしまっている時の対処法

を紹介したいと思います。

 

ここを抑えていない人は、

たとえSNS運用法のnoteを買おうが、
バズるツイートを研究しようが、
フォロワーが1万人になろうが、

収益はあがりません!

 

Twitterのフォロワーを伸ばして「Twitterのフォロワーを伸ばす方法」をnoteで売る。違うアカウントで繰り返す。

そんなことしかできなくなってしまいます。

(またしても少し毒ついてしまいましたがwww)

 

もちろんこれからTwitterやInstagramなどのSNSを始めるという人も必ず最初に確認しておきたい内容ですので、お読み頂ければと思います。

 

SNSマーケティングという意識

なぜSNSを運用するのか?

それは『集客』するためですよね。

もっと言うと、

あなたのビジネスの収益を上げるためです。

この大前提を忘れてはいけません。

つまり、SNSはマーケティングの一部ということですね。

この意識を常に持っておいてください。

 

「マーケティングとは何か?」

ここでは本題とズレるので簡単にしますが、

マーケティングの定義はいろいろあるので面倒ですが、

僕は『商品やサービスが売れるまでの導線づくり』だと考えています。

「導線」という考え方としては、

ドラッカーのマーケティングに関する言葉、

マーケティングの理想は、販売(セールス)を不要にすることである

というのが個人的にめちゃくちゃしっくりきます。

売り込まずに買ってもらえるようにするもの、その仕組みが導線である、

ということです。

そして、その導線の一部として機能するようにSNSを運営するのです。

飽くまで収益を上げるためであって、

趣味の延長ではない。

戦略的に使用する必要があるということです。

 

フォロワーを増やすことが目的ではない

僕たちがSNSを使用する目的は収益を上げるためです。

フォロワーを増やすことが目的ではないのです。

「いや、フォロワーを増やさないと
収益も増えんやろ?」

と思われがちですが、

1番大事なのがフォロワー数ではないということをまず理解しておいて欲しいのです。

 

たとえば、

Twitterのフォロワーが300人程度の人で200万円(売上ベース)を出した方もいますし、

友人も月収50万を越えた時はYouTubeのチャンネル登録者数は700人とかでした。

チャンネル登録者数が700人は一般的に言ったら弱小YouTuberですよね?

もしかしたら弱小YouTuberにも入れてもらえないかもしれませんw

 

ですが、

情報発信者が『集客』としてSNSを使う場合、
1番大切なのはフォロワー数ではない!

ということです。

フォロワー数が少なくても、収益が上がっていればそれでいいのですから。

 

インフルエンサーにならなくていい!

SNSを運営し始めると、目的が集客であるのにインフルエンサーになろうとする人がいます。

もしくは、なろうとしなくとも、彼らのマネをする人がいます。

やめてください!w

情報発信者(特に始めたての頃)は、絶対にインフルエンサーのマネをしてはいけません。

 

その理由はこれまでもたくさん語ってきましたが、

ビジネスモデルが違うから、

でしたよね?

一般に、個人が年収1,000万円〜3,000万円規模のビジネスを構築するのにインフルエンサーになる必要は全くありません。

それは先程述べたTwitter集客やYouTube集客の例からも分かると思います。

むしろ、インフルエンサーのマネをすることで、誰にも相手されなくなるので要注意です。

 

フォロワーを集めるのではなく、見込み客を集める

僕たちはフォロワーを集める必要は全くありません。

僕たちがアプローチすべきなのは『見込み客』だけです。

もちろん、不自然に排除する必要はありません。

必要以上に嫌われることもありません。

しかし、最優先すべきは『見込み客』なんです。

先の例においても、フォロワー300人で200万円の売上を出せたのも、チャンネル登録700人で月収50万を越えたのも、見込み客にアプローチしたからです。

「誰でもいいからフォローして!」では決して達成できないのです。

 

「誰を集めるか?」が決まっていますか?

よくSNSを運用している人から相談を受けますが、よくあるパターンとしてターゲットが決まっていないということです。

「誰を集めたいのですか?」

とお伺いすると、

「英語の情報発信をしているから英語の興味がある人です。」

「ビジネスの発信をしているからこれからビジネスを始めようとしている人です。」

こんな感じに答えますが、

「いや、それはジャンルを決めただけやー!」

と心を鬼にしてツッコませて頂きますw

 

自分が誰の役に立てるのか把握しているか?

前提として、ジャンルで絞っても、そこに属す全員にフォローしてもらうことはできません。

もっと言うと「自分の見込み客は彼ら全員ではない」ということです。

SNS運用というよりも、もはやビジネス構築の話になりますが、

「自分が価値提供できる人というのは限られています。」
「自分が共感を起こすことができる人も限られています。」
「自分が役に立てる人も限られています。」

自分が集めたい人を集めてはいけないのです。

(ここらへんの話がしっくり来ていないという人は、LINE@特典コンテンツを復習頂ければと思います。)

 

情報発信のコンセプトメイクで、自分のターゲットをちゃんと設定したはずです。

しかし、SNSを運用となると、ターゲットのど真ん中を忘れてしまってか、ファネルの口を大きくしようとしてか、広く取ろうとしてしまうんです。

その結果、誰も集まらない、誰にも共感されない、収益が上がらない、ということが起こるのです。

自分のターゲットをちゃんと選定し、SNSでもそのターゲットのド真ん中に向かって発信することが、見込み客を集めることに繋がり、あなたのビジネスの収益化にもなるのです。

 

「見込み客がどこにいるのか?」をリサーチする

見込み客を集めなければいけない!となると、

SNS集客で考えるべきことは「見込み客はどこにいるのか?」です。

  • どんな属性を持っているのか?
  • 誰をフォローしがちなのか?
  • どんな投稿に反応するのか?
  • 見込み客は何を求めているのか?

このあたりを徹底的に分析・リサーチしてSNSの運用に繁栄させていく必要があります。

 

既にお客さんがいるのであれば!

リサーチをするのに1番簡単な方法は既存のお客さんを観察することです。

  • どんな人が自分の発信に共感を起こすのか?
  • どんな人をフォローしているのか?
  • どういう経路で自分のことを知ったのか?
  • 何を求めて自分のところに来たのか?

既にお客さんがいる人は必ず観察してください。

直接聞くのも有効な手です。

 

ツイッタラー、インスタグラマー、YouTuberになっていはいけない

はい、以上が情報発信者がSNSを運営するときの大前提でした。

1番最初にも書きましたが、僕たちはSNSを集客装置として使っています。

つまり、ツイッタラーやインスタグラマー、YouTuberになってはいけないということです。

なかには、

「いや、フォロワー数や登録者数が増えるのはええやん?」

と思うかもしれませんが、

情報発信ビジネスをするのであればむしろ彼らのように振る舞うのはデメリットがあるのです。

それが、『フォロワーはSNSだけで満足する』ということです。

 

どういうことかと言うと、

僕たちは情報発信をしていて、本当の居場所は自分のコミュニティであったり、メルマガであったり、LINE@であったりするわけです。

しかし、ツイッタラーのように振る舞うと、

「この人の発信はTwitterだけをフォローしておけばOK」

と思われてしまうということです。

 

引力を自分の居場所に向かわせる

集客装置としてSNSを使う場合、引力は自分の居場所に働くようにしなければいけないのです。

「あ、この人の発信をもっと知りたい」と思ってくれた人がどのような行動を取るのか?

この視点が絶対的に大事になるのです。

あなたが両足を突っ込んで、
本腰を入れて発信しているのはどこか?

それが明確である必要があります。

「あ、この人はメルマガがメインの活動なんや」
「オンラインサロンにいけばこの人に会えるんや」

SNSから離れて、あなたに向かって一歩踏み込んでもらえるような構図になっているかどうかなのです!

Twitterでも、

「ツイッタラーの人がLINE@もやってます!」
「LINE@もはじめました!」

みたいな空気感では「Twitterを見てればええや」と思われてしまいます。

Twitterは伸びても、YouTubeが伸びない人は、Twitterをフォローしていれば十分と感じさせているからです。

 

情報発信者やコミュニティ運営者が使っているただのSNS、という空気感でないと、自分に興味をもってくれた人がどんどん自分に向かって進んでいってくれないのです。

引力が自分の居場所に向かっていかないのです。

 

この引力を作るのは、キングコング西野さんが上手ですよね?

西野さんの発信をキャッチしようと思ったら、絶対に「オンラインサロンやわ!」という思考になりますから。

これが情報発信者に必要な構図なんです。そして、これが集客装置なんです。

 

既存読者が嫌う運用はしない

最後にですが、既存のメンバーが嫌うようなことは絶対にしないということです。

僕たちが1番大事にしないといけないのは『コミュニティ』です。そして、既存のメンバーです。

彼らに嫌われるような行動や投稿はコミュニティの崩壊を起こします。

もはや「ゲシュタルト崩壊を起こす」といった方がしっくりくるのかもですね!w

例えば、携帯会社は新規顧客を取ろうと必死のせいで、既存客を蔑ろにしがちです。

だから、携帯会社ってこんだけ客や利用者がいるのに嫌われていますよね?

既存客を大切にしないというのは脆いモデルになるのです。

 

終わりに

はい、というわけで今回は情報発信者が絶対に抑えておかなければいけないポイントについて確認しました。

正直、情報発信者にとっては基礎の基礎に感じたかもしれません。

しかし、忘れていた部分や盲点だったというところもあったかと思います。

今回の内容を理解していないと、SNS運用のノウハウやテクニックを使用したところで「収益」という成果には繋がらない、そんなお話でした。

 

で、

「実際に僕がどういう風にSNSを使ってきたのか?」

については僕のLINE@で既に全て公開しています。

✅  Twitterでフォロワー2000人を超えるまでに実践したこと(現4000人超え)
✅  フォロワー1000人以下でも月10万を収益化したファン化の秘密
✅  中長期的に収益を出し続けるマーケティング理論

については、

LINE@で解説しているので興味がある人は読んでみてください。

(※本記事の内容も包含しています。)

 

ということで、本記事と併せて実践していただき、集客装置としてSNS運用し、収益に繋げていってもらえればと思います。

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