【現代版 四門出遊】怪しい宗教はじめました。嘘です。

いきなりですが、「四門出遊」ってご存知ですか?

ほとんどの方に馴染みがない言葉だと思います。まぁ僕も馴染みがあると言えるほどじゃありませんがw

ただ、僕が通っていたのが仏教系統の高校だったというのと、社会で倫理選択だったっていうめずらしい組み合わせが相まって、この「四門出遊」という言葉を覚えていただけです。

 

この四門出遊は仏教の釈迦が出家をするきっかけとなった出来事ですが、これってふつうに深い話やなというのと、よく考えてみれば「僕も四門出遊をしてノマドになったな」と思いまして、今回は「四門出遊」について話したいと思います。

「いや、世界三大宗教とお前のノマドを同じにするなよ!」

と突っ込まれるのは覚悟の上ですw

ただ、「四門出遊」自体は人生で大事なことを教えてくれるいい話です。

四門出遊とは?

四門出遊とは?

王様の子供(太子)として生まれたゴータマシッダールタさん(後の釈迦)はお屋敷内で育った世間知らずの子供でした。お屋敷はかなりデカかったので、東西南北に門がありました。

ある日、東の門から外に出てみると、歯が抜け、腰が曲がり、頭もハゲ散らかした「老人」がいました。しかし、ゴータマさんは初めて老人を見たんですね。

ゴータマ「あれはなんや?」

家臣「あれは老人です。人は歳を重ね、いずれあぁなるのです。」

ゴータマ「まじか…。」

ゴータマさんはびっくりするわけです。

 

別の日、南の門から出かけると、次は「病人」に出会います。

ゴータマ「あれはなんや?」

家臣「あれは病人です。人はみな病気になり、苦しむことがあるのです。」

ゴータマ「マジカ。」

ゴータマさんはショックを受けます。

 

また別の日に西の門から外出すると、死人(葬式)を目にします。

ゴータマ「あれはなんや?」

家臣「あれは葬式です。人はいずれ死んで、動かなくなるのです。」

ゴータマ「MAJIKA!?」

ゴータマさんは思い悩みだします。わりとメンブレ状態になるわけですね。

 

最後に北の門から外出するとそこで修行僧に出会うわけです。

そこで本当の幸せを求める道があることを知り、それこそ人生で最もなすべきことだと直感します。

 

人間は限りある命を、自分の欲を満たすために生きるのではなく、老・病・死を超えた普遍的な真理を求めるために生きているのではないだろうか。私も、老いても病んでも、そしていざ死ぬとなっても崩れない本当の幸せになりたい、と思い出家するのです。

 

そして、結果的にゴータマさんは悟りを開き、釈迦になるわけです。

 

僕も四門出遊してノマドになりました

こうして僕はノマドになりました

この「四門出遊」をきっかけにゴータマさんは出家をすることになったのですね。

すこし関西弁テイストにアレンジされていますが、本当はもっと貴族っぽい喋り方だと思います。念のために。

 

ゴータマさんのこの四門出遊ストーリーをぎゅっとすると

「老」「病」「死」を目の当たりにし、「生」を大切にし始めた

っていう話です。

 

何気なく生きているとただ時間が過ぎていきがちですが、実際は老いから逃れることはできず、人生は有限であり、しかも自分の体も病気になって、いつでも制限を受ける可能性があり、そしていつ死んで人生の終わりを迎えるのかも分からないということを考えると、本気で人生に向き合わなければいけない!と思えるのです

 

実は僕が大学生の頃に、四門出遊と同じような体験をしてノマドになったんですね。

あ、ぜんぜん王族とかではなく、むしろシュードラ寄りですw

 

まず、おばあちゃんが老人ホームに入ったことです。それまで毎日畑で元気にしていた祖母ですが、老人ホームに入ってからはどんどん元気がなくなり、歳を取ると何もできなくなることを実感します。

また、母は昔から体が弱く、よく薬を飲んでいました。その頃は特に精神的にも追いやられており、僕は心身ともに健全に機能することの有り難みを理解します。

そして、最大の出来事だったのが愛犬の死です。弟のように可愛がっていた犬が亡くなったショックはデカ過ぎでした。未だに人生で一番悲しい出来事です。これをきっかけに「死」って本当に存在するんやと人生の終わりを身近に感じました。

そして、大学院に入った後、起業家の友だちから連絡を受けたというわけです。

 

当たり前を大切に思うだけで人生が好転する

当たり前を大切に思うだけで人生が好転する

よく、死を意識するとIQが上がるとか、収入が上がるとか、そういう話を聞きますが、わりと本当です。

普段、何気なく過ごしている時間を大切にできるからです。

「死」だけでなく「老」と「病」も加わった四門出遊は、普段自分が当たり前だと思っているありとあらゆるものが本当は貴重なものなんだと気づかせてくれます。

だから「死」「老」「病」に関連するものだけでなく、一緒にいてくれる家族や友人、今住んでいる家、毎日食べている食べ物、どこでもなんでも手に入る街なども、本当はすごく貴重な存在で、自分に価値を与えてくれているものなんです。

(余談ですが、価値の移動はビジネスで必須の視点ですね。)

宗教では四苦八苦というものがあって、四苦にあたるのが「生老病死」です。「生」も苦の中に入るんか!って感じですが、生きる苦しみってやつですかね。

人間は自由の刑に処せられているとか言う人もいるくらいですから、生きることは苦しみなんでしょう。

 

…。

 

はい、分かるようで、分からんですねw

 

別に僕は仏教に詳しくないので深追いはしませんが、確かに生きていると苦しいことはたくさんあります。

でもだからこそ、人生に死ぬほど真剣に向き合うことができます。

自分の人生に向き合うと、自分が本当にやりたいことに熱量を注がないと人生に失礼な気がしてきます。それが自分に提供できる価値を考えることにも繋がります。

普遍的などうしようもない「老」「病」「死」の恐怖を煽るようなことはしたくありませんが、少なからず僕の場合は「自分がやりたいことに挑戦する勇気」をくれるきっかけとなりました。

そして、四門出遊は別に実際に体験する必要はありません。

考えるだけで十分意味があります。

人は老いからは逃れられず、
病により制限を受けることがあって、
いつ死んで終わりを迎えるのか分からない。

ゴータマさんが出家をし、悟りを開き、釈迦になるというサクセスストーリーを描くきっかけとなった「四門出遊」ですが、あなたにとっても考えされる事がたくさんあるんじゃないでしょうか。

 

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「仕事は我慢」
「いかに感情を押し殺すかのゲーム」
「月曜から金曜まで早く過ぎろと思って生きる」
「しょうもない時間を過ごす対価が給料」
「お金は人生を切り売りして稼ぐもの」
「憧れのライフスタイルは諦めなければいけない」

超保守的かつビビリの僕は、

 “他人の価値観” を上手く体現することが人生だと思っていました。

しかし、それは全くの間違いでした。

 

人生は単なる『選択』でしかなく、

思ってたよりも5,000倍は自由でした。

それでも会社員のままじゃ自由を享受できないし、理想のライフスタイルも実現できない。

だって、経済的に自立するだけでなく、

時間を生み出し、生きる場所を自由化するためには、

 “自分自身のビジネスシステム” を持つ必要があるからです。

 

そう気づけたおかげで、

今ではこうしてノマドライフが送ることができています。

もちろん、特に才能があったわけではありません。

むしろ文才は悲しいほどありませんでしたw

(ここだけの話、国語の成績は高校でブービー)

それでもノマドになれたのは目的に合った手段を常に選択してきたからです。

 

だからどんな人でも “適切な選択” と “正しい努力” さえ実践すれば、

経済的自立・場所の自由・時間の余裕を獲得できると確信しています。

僕がノマドになるまでの軌跡と行動理念は、下の記事に書きました。

5分で読めるのでぜひ読んでください↓

→ ただの大学生だった僕が、全くのゼロから経済的に自立し、場所も時間も自由なノマドになった軌跡